目の前に困っている人がいるのなら、ルールなどは一度脇に置いて、人として、助けましょう

写真拡大

ブログサイトで下記のような話が話題になっていた。

アイスクリーム屋さんで小さな男の子がもよおして、親がトイレを貸してくれと言ったら、店員は「従業員用のトイレは貸せない」と答えた。結局そとの店に借りに行ったようだが、その家族がいつまでも店内で文句を言っているから、隣にいたそのブログの筆者がその家族に対して怒鳴ってしまったという話。

ネットではどうも95%くらいの反応が、「バカ親」批判。でもあんまりにも意見が偏っていることが気になるので、あえて逆の視点で見てみることにする。

たしかにいつまでも大声で文句を言っているのはお行儀が悪い。だけどその家族は、店員の言い方があんまりにも杓子定規で頭にきたのかもしれない。

親のしつけ不足を指摘する声もネットでは多いんだけど、ちゃんとトイレのあるところでもおしっこしておいたのに、それでもまたすぐに「トイレ!」ということは2歳や3歳ならしょっちゅうあること。トイレのがまんは子供の生理的な発達に関することであり、本来しつけは関係ない。

第一、その子が2歳くらいなのか5歳くらいなのかもそのブログからはわからない。状況を想像しようと思ったら、そこ、大事なポイントだと思うのだけど。ま、そもそもこの子が本当にもれそうでギリギリなのか、まだ余裕がありそうだったのかというところももう一つのポイントだと思うけど。

今回の場合、「子供なんだから特別扱いされて当然」という意識がその家族にあることが、多くの人たちの反感を買っている部分も大きいだろう。そして「トイレがあるときに行かせておかなかった親が悪い」という自己責任論になる。

「これを機会にトイレは行きたくなくても行っておくという世の中のルールを学びましょう」なんていうコメントもあったけど、トイレに行きたくて辛い思いをして、「トイレはあるところで行っておこう」と思うようになる学びの機会なんていくらでもある。それでも大人でも失敗することはある。それはしつけ不足ではなく、単なる失敗。

今回の状況から子供が学べることは実はもう一つある。「目の前におもらししそうな子供がいても、トイレは貸さなくていい。それは自己責任。ルールが優先」という信念を植え付けることだ。世の中そういう人だらけになったら窮屈だと思うのは僕だけだろうか。

役所や銀行の手続きを、杓子定規だと言って憤慨する人は多いけど、今回の話も根本的には同じ構図。従業員用のトイレを貸せない店側の理由を説明するコメントも多数あった。そりゃいろいろあるだろう。だけど、状況によって、目の前の子供が本当にもれそうなら、臨機応変というのがあってもいいと僕は思う。

こういう話題がネットに載ると怖いのが、「店員vs客」という二元対立構造で思考してしまう人が増えること。「自分はどっちの味方か?」。そんな発想になってしまう。でも実際は、状況はそんなに単純ではない。考えるべきは、どちがら善でどちらが悪かを認定することではなく、登場人物それぞれの立場で、「自分ならどうするか」を考えること。

ちなみに僕が店員ならトイレ貸すけどな。大袈裟に言えば、杉原千畝の精神。要するに、「目の前に困っている人がいるのなら、ルールなどは一度脇に置いて、人として、助けましょうよ」という精神。お店のマネジメントとして考えても、店内でもらされたらもっと困るわけだし、今回のケースでは、最初から店員がトイレを貸してれば、誰一人嫌な思いをしなくてすんだ話だし。

それが世の中を少しでも心地よくする大人の機転というものだと思うのだけど。少なくともネットでの今回の議論を見る限り、僕は非常識な側の人間なようだ。

(おおたとしまさ)

【ガイド:All About News Dig編集部】